このコラムではメンバー7人が日頃感じたことなどを気楽な読み物として綴っていきたいと思います。


「高松次郎に於けるTransfomation & Application」

A 今回は「高松次郎―思考の宇宙」展にふれてみたいと思う。ただし、紙数もないので気にとめていることに絞って話していきたい。
B 高松次郎と言えば、70年代日本の現代美術をリードしてきた作家であることは言うまでもありません。代表作と言えば、「点」「紐」「影」「波」「弛み」「石と数字」「日本語の文字」「英語の文字」等の多くの優れた作品を残しております。
A 高松の仕事を、知的操作とかアイデアマンとなどと言われてきたが。
B 私は、知的ということが美術の中でどのような意味があるのかは知りません。作家が概念的に表出するという点、つまり、作品を創る上で演繹的な方法論をとっているからでしょうか。それともトリッキーや「言語」を使っているからかも知れません。とにかく作家の文章も含めて知的(論理的思考)な印象を与えているのも確かです。
A 「影」の作品はどう思うか。
B 私の個人的な意見を述べさせていただくなら、あの「影」の作品には〈他者性〉の問題が内包されているのではないでしょうか。つまり「影」とは第三人称(わたし、あなた、かれ)が錯綜し合い提示されている。だから、誰れ誰れの「影」である必要はないのです。そこには〈他者の契機〉が用意されているように思えるのです。ですから批評や多くの人たちが「影」を〈不在性〉と捉えて論じることに多少疑問を感じています。
A 「影」は〈不在性〉ではないということか。
B 画かれた「影」であることが重要なのです。もしそうでなかれば、歩いている人の「影」を写真で撮ったり、人にライトを浴びせればできることですから。ここでは「影」という直截な題名が逆に意味を拡大化し韜晦にしてしまっている。ですから「影」の作品は〈不在性〉という哲学の陥穽におちいる恐れがあります。極端な言い方を許してもらえるならば、「影」とは対象=視覚に映てるものです。原爆投下で焼き付けられた人の影は、不在でもなく実在として存在しているのです。
A 高松次郎の創造性についてはどのように思うか。たとえば、〈否定から創造がはじまる〉、〈芸術は、半分は破壊操作である〉とも言っていますね。
B 根底にあるのは〈反〉という意識ではないでしょうか。視覚的に構造を変えて見ることによって別の存在形態が顕現する。それが時としてトリッキーになってしまう恐れがあるのです。それらは、見る側に意識改革を促しているのです。「遠近法の椅子とテーブル」は、子供が電車の最先端から線路を眺める光景に近いのです。そのような方法論は多くの作品に見られます。
A 美術評論家で宇都宮美術館長の谷新氏が、同館の研究紀要に〈高松次郎の「石と数字」について〉という長文を掲載していますね。
B 久しぶりに読みごたえのあるテキストでした。ここでは詳しく論じることはできませんが、谷氏はタピエと高松の類似点を明晰に論じていて、「外部の純粋な@攪_的成果を借りつつ芸術に対する思考の領域を拡張しようとしたのである。」と述べ、タピエの超越論的な考え方は高松にこそ関係しているのだと。
A とにかく高松次郎の作品を再検討する上で示唆されるところがありました。
B 私は、高松次郎の作品を見るたびに思い浮かべるのは二つのキーワードです。一つは、applicaion(応用)二つは、transformation(変形・転換)です。これらは、先人たちや同時代からの応用/変形として指向しているようにさえ思えます。それはすでに存在している構造を認識するというより、応用/展開する高松の感性にあるように思えたからです。高松が常々語っていたように、先人や同時代の画集を前に、「ぼくだったら…ように表現する」という時、高松によって応用/展開がなされ、〈次郎好み〉の作品が具体化され表現されるのです。
A それは高松が鋭い時代感覚をもっていたからではないのか。
B だから高松は、ロジックの人ではなく、感性の豊かさが柔軟な思考を養い、美術の枠組を拡大化したのだと思う。
A あまりにも状況に敏感であるため、時として時代がつくってしまったような作品が見られますね。たとえば、「石と数字」の作品についてはどうだろうか。
B あの仕事を見たのは雑誌ですけれど、何故か堀川紀夫の河原から自然石をとり、それに荷札を付けるという作品を思い浮かべましたし、河原温の「デイト・ペインティング」、そしてオノ・ヨーコのガラス瓶の破片に未来の朝の日付けをした「モーニングピース」などの作品がちらついたのも確かです。このことは類似性を言っているのではなく、その時代に多くの美術家が記号や言語に関心が注がれていたし、概念的な傾向が強かったからかも知れません。
A ウィトゲンシュタインは、『反哲学的断章』の中で「感覚にはたらきかけないもの――たとえば数――は、もっとも「純粋である」と。
B 記号を使うのは、何か指示性が強く、知覚のレヴェルではないですね。ジャスパーなどはそうした記号的なものを感覚的にはたらきかけようとしたのでしょう。岩や石に数字を記すのは、われわれが〈世界=自然〉に織りなされていることの認識と同時に、自己の存在を告知しているようにさえ思えます。

2004.9 高木修
●このテキストは、香りの専門誌『パルファム』(2004年,No131)に夏木遊のペンネームで掲載したものです。


「絵画と敵対する彫刻について」注1のメモ

 彫刻は実在物としてのみあるかぎり“見える”ということで観者は安心する。これに対して写真は、見えているものが写っているという前提によって成り立っている。つまり、逆にいえば写真家が見ていないもの、写せないものを写真のなかで見ようとする者は多くはいないだろう。ましてや、絵画において描かれていないものがあっても不安に思う者はいない。
 実在空間を瞬間的かつ直観的に点や線に還元して把握することはない。自分で試しながら歩行しても、どちらかといえば風景を面的な塊としてとらえているような気がする。
 そのような感覚から、絵画としての直観的置き換えは“(色)面”が基本であり、“線”は意識的な還元の表象としてあるだろう。
 ミニマリズムの彫刻が絵画との敵対を戦略的に取り込みつつ、物質と形態(ゲシュタルト)による自立的彫刻の可能性を提出したように、その対立軸は絵画特有の色彩的イリュージョンとともに、非量塊化を必然とする意識としての還元という、抽象に特有なプロセスをも含んでいたように思われる。
 物質であるという実在と形態とのあいだには(純粋)視覚から意識へといったような、時間的ズレがある。このズレは抽象彫刻を理解するうえで、あるいは抽象絵画を理解することにおいて、観者に対してある種制作者の立場を要請するようなものとしてある。
 つまり、観者は安定的に意味付けられた実在空間とは分離された予定調和されない“物体”と“形態”とそれらの“空間”を眼差すことになるからだ。
 時間のズレを含むということはすでに意識下の生産システムにもとづいていることを差し示す。この制作と観者の共犯関係に含まれる批評の居心地の悪さこそがマイケル・フリードによって「シアトリカル」として指弾されたものである。
 物質ではあるが空間でもあり、なおかつ形態であるというミニマリズムの主張は観者の再編成の上に成り立っており、その徹底化は以前のアヴァンギャルドと同じように持続不能であった。
 ミニマリズム以後の新たな彫刻が可能であるならば、非量塊に至る還元的プロセスをふまえた形態(体)としてあるだろう。それは物質、実在、現前ということにおいて絵画的イリュージョンとは「敵対」するのであって、それ以上でもなく、彫刻において絵画との「敵対」はむしろ作法、手順なのである。 

注1  「彫刻の関心はいつのまにか、絵画の関心とは別であるばかりか敵対するものになってきたということがいえるだろう」  ロバート・モリス『彫刻についてのノート―感覚の視覚化』山口勝弘訳「美術手帖」1969,3参照

2003.4  市川和英
この文章は、distance21 森岡 純・市川和英(ギャラリー檜)のコメントとして書かれたものです。


 2001.12.12水
 朝香宮邸跡の庭園美術館にカラバッジォを観に行った。会期末ながらそれほどの混 雑でもなく、ゆっくりと往復して見れた。どの絵も構図の緊張が凄い。これらの絵の 空間は点透視というよりは浅い奥行きで遮断した見えざる立体格子の器だ。描写され た配列物の堅固な構成とともにとりわけ人像の目線から指先にいたるポーズは前後飛 車角に動感があって、そこに幾何学的なテンションを感じたのはぼくの思い入れかな。
 
その馬鹿テクで再現的な空間を描き出しながらも画を一枚の矩型平面 として仕立て ていて、元来矛盾する関係にある2次平面性と奥行きのある3次元イリュージョンとの 密なる均衡において折り合いをつけ、幾何学的に構築していこうとする思想というか 意思をかんじる。
 強い光りと闇の対比がきわだっていて黒い闇の部分の微かな描写が今ではよく見え ない。空気感はフェルメールとちがうけれど暗箱目線だ。
 一方で伝統的なアレゴリーを主題に引き継ぎ、もう一方では前世代の絵画の人像に おける彫刻的な古典志向は失せて日常風俗より拾い再現する手法を創意している。彼 によって描写対象にモダンな組み替えがなされた。いまこうして1600年代初頭に生き た画家の錯綜する多義性と合理的知を見ると驚く。
 ひるがえって彼の実人生はかなり悲惨だったようで、抑制できない激しい気性ゆえ に殺傷沙汰で追われる身となってしまったという。
 チラシにも載っていた「花束を抱く少年」は修復も行き届いて質感と色は再現され ているのだが、後代補修の手が入りすぎたためか、細部が固いのと図が勝ちすぎて空 気感とのバランスを殺して見えるのが残念。天才の筆捌きは推測するしかないか。逆 に一部剥げおちているくらいの、一派の手になる保存の悪い画のほうが、形を描きだ す筆捌きの妙が味わえた。
 3世代にわたるカラバッジオ信奉者たちが生まれたという。ベラスケスやルーベン スの描法の原形でもある。このあたりのいいものをすなおに吸収していく派生伝播の ダイナミズムがとても人間的で、流派のしがらみを勘案優先して膠着する日本とはず いぶんちがうところだ。画家の生きた1600年代といえば、日本では関ヶ原が収束し、 利権に決着がついたころというとちょっと驚きだけど、そういえば宣教師のフロイス なんかの観察眼も現代人と大差ない。
 どうも彼の地の神を設置しての秩序付けとは雲泥の差がある。カラバッジオ以降の 西欧社会の歴史を眺めれば、たかだか美術でさえ視覚をめぐっていかに変遷してきた ことだろう。この国は神がないぶん人に過剰な格式を課す虚癖があっていろいろ珍妙 な心性がうまれたんだろう。400年も枝葉に終始して本質に手つかず暗愚のまんまに 事足りた狩野派とか能茶花の技芸相伝の習性。極東には荘子なんかはすこしちがうと して孔子・孫子のたぐいの歴史家、戦略家が跋扈したけど、古代ギリシャのような愛 知家たちに比する存在はなかったからな。

  2002.2.27水
 美智子と4ヶ月のチビを連れて国立近代美術館にでかけた。車を北の丸公園に止め て向かった。コートを羽織らなくてもいいくらいのぽかぽか陽気だ。正面の北詰門か ら出てくるカップルもいる。本丸周辺も整備されていて良い環境だけど、城郭がすき だった10代に来たきりだな。
 一月にアブスト・メンバーと見てから二度めだ。なかなかの入りで盛況だ。高齢の 婦人たちが圧倒的に多い。ついで年配の男性たち。時間帯と曜日のせいか20〜30代は ちらほら出会うといったかんじだ。赤ん坊はわが美友ひとりだけ。とにかくぐずらず 静かにしていてくれるのでおんぶ紐で抱いている美智子もほっとしているみたい。
 順路にしたがって4Fからだがまずはセザンヌとマチスに向かう。
 今日の目的のひとつで、もう一度見てみたかったからだ。セザンヌの静物小品はす ごくいい。緊張感あるまなざしがいつ見てもひしひしと伝わってきてこの場をはなれ がたいのだ。ビンの口元だけがまだ手が入っていない。薄い鉛筆のドローイングが見 えている。ピカソの青い女が並んでいるがやや格違い。
 マチスの赤い室内静物と窓越しに海をのぞむ二人の女のいる室内。二点とも色が絶 品だ。これだけ高い彩度を突き合わせて再現描写のヴァルールを維持することは当時 画期的だったろう。テーブルのマダー系赤の発色、混色したピンクはぜんぜん衰えて いないし、わずかな黒も色として響きあっている。
 右となり画の女のうなじの影なんかも何気ない色で決めている。すばらしい。
 それに引きかえわが重要文化財「湖畔」のなんと寒寒しく晒れていることだろう。 このコーナー1897年作になる油画がなぜだか多くて、いちおう印象派風の彩色をもの しているが、大政奉還30年にしてようやく彼の地の技法を咀嚼できたということか?
 階下の縦長画面の「ドローネー」。円と螺旋の抽象画だが色の宇宙でもある。
 「村山知義」の作品ははじめて見たがうまい人だと思った。この高いレベルがこの 人かぎりで終わったことがなんともやりきれない。
 松本峻介の立てる「自画像」もはじめて見た。戦争画と戦後のプロテストの抽象画 のたぐいは色がひどい。
 二階のロスコとルイス。双璧を競うようにならんでいるがロスコはちょっと暗い かんじ。でもどちらもすばらしいイリュージョンを生成している。
 一階に降りて、荒川、ウォーホール、横尾を横目に素通り、写真がけっこうあって 、ビュラン・・ナンダこりゃ。おフランスもいいけど・・。河口龍夫の自然石に光る 蛍光管を貫通させた作品。無知なぼくはキャプション見るまで李兎煥の作品と勘違い していた。1971年作か。
 廊下みたいな順路を抜けるとだだっ広い部屋にでる。間仕切りを取り払ったからや たら広くなったけどその分、天井が低くかんじられて重い。この広さにはこの1.5か ら贅沢いえば2倍の天井高がほしいかんじ。
 坪数と空間のヴォリウムに無頓着というか、しっくりした建物が意外とすくない。 新都美館の立っ端はスケール超えているし、そういえば都庁の入り口もデッドスペー スになっていて、間延びした赤い彫刻がある。用途不明の閑散とした広場?からなか へ入るに薄暗いガレージみたいなところをくぐらざるをえない。新宿駅西口の天井高 くらいで、外観と内部空間がちぐはぐ。去年行った群馬近美新館の白くてふわっとし た空間が印象に残っている。
 ・・で、榎倉さんのは80年代初めの今日の作家展でみた二枚布の浸透が見たかった 。菅と小清水は物量で気負ったかんじで、ちょっと・・。この作品にこのスケールは ふさわしいの?という素朴な疑問。スケール伸びると意味が薄まる。ところで小清水 の洗濯板ってレプリカだったけど、はじめからこんなにでかかったのかな?そうだっ たらごめんなさい。低い天井すれすれに届かんばかりの洗濯板が横並びして威圧する 。ぼくが見覚えているマックラッケンの「プランク」=樹脂コーティングした厚板、 とほぼ同寸になっている。昔雑誌で見たとき感じたが、かべに立てかける流儀はマッ クラッケンといっしょで、知覚効果はまったく別モンでやっぱりパロディか。
 埼玉近美のモノ派展での李のレプリカもオリジナルよりスケールアップしていたと 聞いたことがある。 あとはほとんど印象にのこらなくて、出口に至ってようやく・ ・高木さんと田中信太郎の彫刻がいい。高木さんの作品はヒノ画廊で見たときは形が 記憶できなかったけど、今回3度めでやっと構造が見渡せた。パーツはシンプルだっ たのに全体に複雑なかんじがしていたのはどうしてなんだろう。そういえば松本透さ んが、ロースの建築のキュビズム性と高木さんの作品の通う点を指摘していた。田中 信太郎の壁の「+」。断面が丸、三角、四角の鋼棒で組まれているのがミソで一見な んの変哲ないものだが、色、肌合い、浮かし具合とか透徹した力量を感じる作品。
 1867年以降を総花的に見せるとすると漏れる作品も多量にでてくるわけで、文献だ けでも史的に細密な作業がのぞまれる。
 時間がまだあるので、おなじアトリエの大塩の個展を見に谷中のアートフォーラム にむかう。ここも今回を最後に閉じる。画廊がどんどん無くなっていく。

杣木浩一


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